その中でも、検査と呼ばれる部門にいました。
まぁ、要は製品のチェックをするわけですね。
2人がかりで、テスターと配線図を片手にチェックしてました。
1人が図面を読む人、もう1人がテスターをあてる人です。
あ、今、「図面の方が楽じゃん」とか思いましたね?
違うんです。図面なんて読めませんから。
何か判らないたびに、指導さんに「これ、ナンですか?」と。
で、図面1枚ごとに読む人とあてる人を交代してやってました。
終わりのころには、なんとか自分ひとりで図面が読めるようになりましたが。
さて、福知山線脱線事故。
亡くなった方が95名(27日19時現在)にのぼるという、大変痛ましい事態になってしまいました。
改めて、亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。
詳しい原因については、調査委の発表を待たなくてはなりません。
ただ、現時点で判明していることから、私の考えを少しばかり。
新聞などで「未熟な運転士が・・・」と言われていますが、これを叩くのは筋違いかと。
適性があったか、なかったかとは別問題です。
運転士になって11ヶ月、未熟なのは当たり前です。
未熟な運転士であっても、実際に乗務し、経験を積まねば熟練運転士になれません。
「未熟な運転士」を叩くのであれば、それは「次期熟練運転士」の芽を摘んでしまう事になります。
熟練運転士は良く「体が覚えている」と言いますね。
それは、何度も運転する経験から得た、経験能力だと思うわけで。
どうか、「未熟な」という点を叩かないでほしいと、某社の未熟な新入社員として思うのです。
ただ、どうやら100km/h超でカーブに進入したらしいと言うのは運転士の責任ではないかと。
しかし、ここで運転士ばかりを責めてはなりません。
運転士が「なぜ制限速度を超過したのか」、即ち、「なぜその判断に至ったのか」だと思います。
「定時運行を促す文書」が配布されたり、「1秒単位で遅延調査」が行われたりすれば、
それはプレッシャーと感じます。当たり前のことです。
例えば、自動車を運転していて、赤信号で停車したとします。
その時に警察官から「一時停止違反取締り中」とかビラを渡された上に
次の一時停止の箇所に警察官が立っていて、1台1台チェックしていたらどうでしょう。
やはり、「一時停止しなくてはならないな」とプレッシャーを感じると思います。
それと同じことです。
運転士には、定時運行の確保がプレッシャーになっていたはずです。
言ってみれば、運転士もそんな心理状態にさせられた「被害者」だと思います。
少しのつもりが、結構な量になってしまいました。
それではこの辺で。